真正性とは何を以って本物とするかという考え方だ。真正性とは何か説明せいという方は前の記事を見て欲しい。丁寧に解説しておる。
前回は真正性とは何かを考えるうえで代表的な2人の研究者の考え方を紹介したい。一人はダニエル・J・ブーアスティン、もう一人はディーン・マキャーネル(マッカネルとも)である。
ブーアスティンから紹介しよう。私の解釈になってしまうが、ブーアスティンの主張を簡単にかみ砕くと、旅行とは「未知との遭遇」である。そして、マスメディアが紹介するようなカラフルな写真やイラストに惹かれて始める旅行を痛烈に批判している。なぜこのような主張をするのか。
まず時代背景から。
ブーアスティンは1914年生まれなのでもう100年以上前の人だ。当時はまだ観光なんて一般人に行けるものではない。鉄道や蒸気船はあったが、まだ新幹線やジャンボジェット機は存在しないし、仮に存在しても一般人がおいそれと搭乗できるほど安価なものでもない。他にも1914年は第一次世界大戦の始まりと言われるサラエボ事件があった年。そこから40年間は戦争の機運が高い時代でもある。
このような時代背景を踏まえたうえでの想像になるのだが、ブーアスティンの幼少期~壮年期は、大金だったりインフラだったり社会情勢が理由でおいそれと旅行に行けない時代だ。現物を映像で確認することはできないし、写真も普及し始めた時代だ。そんな時代の主たる旅行情報はガイドブック。といっても、るるぶみたいな写真メインの鮮やかなガイドブックではなく、辞書のように観光地の情報がひたすら文字で並んでいるだけのものだ。余談だが、るるぶが今みたいに写真メインになったのはここ15年くらいの話だ。
ブーアスティンは自分の中から生まれる好奇心を満たすことに旅の本質を見出した。だからマスメディアのような外部要因によって突き動かされる観光を彼の著作『幻影の時代』で「出版されたイメージをなぞるだけの幻影であり、旅行の真正性は失われたと」批判したのである。
私個人の感覚としてはわからんでもないという感じである。ブーアスティンの主張とは少し外れるかもしれないが、写真に惹かれていく旅行と、入念に情報を集めてから行く旅行は全然面白さが違う。実際に私もガイドブックの写真につられて落胆した名古屋城旅行と、大学院の頃にフィールドワークの一環であらゆる文献を読みつくした院生K君主導の名古屋城旅行は圧倒的に後者の方が楽しかった。
インターネットの記事やインスタの写真に惹かれて旅行に行くのは悪くない。しかし、自己承認や家族・恋人・友人と関係性を深めるだけに旅行するというのは、私としては旅行の面白みを十分に引き出せてないとも感じる。イメージだけで満足せず、観光地を深く知る姿勢で旅行することは旅行を楽しむうえでとても大切な要素になっていく。