前回の復習から始めよう。
観光の真正性議論の嚆矢となったダニエル・J・ブーアスティン。彼の主張は「メディアに作られたイメージを消費するだけの観光は薄っぺらい。そんなものを消費する旅行者は観光地に真正性を求めていない」というものである。
日本人の上位0.1%に含まれる旅行好き(自称)の私として言ってることはわからんでもない。けどあまりにも当時と今とでは時代背景が違うかな?という風にも思う。あと「お前たちの観光は偽物だ!」と言われるのは感情的に受け入れがたい。
そんなブーアスティン先生に反論したのがディーン・マキャーネル。旅行者はみな本物志向を持っているという。
マキャーネルの主張を考えやすくするために、こんなシーンを想像してほしい。
あなたはある日、雑誌で本格イタリアンレストランを見つけた。読み進めるとそのお店のことが気になり、数週間後そのお店を訪れた。メニュを見ると見たことのないカタカナがたくさん並ぶ。名前だけだと食材、ワイン、料理名、何が何だかわからないけど雑誌のオススメのコース料理を注文。提供されたイタリアンは、日本人向けとは少し味付けが違う。少し癖や強い味付けではあるがあなたは心を惹かれ、次々と出るイタリア料理に舌鼓をうつ。何気なくガラス張りの厨房を見ると自分が料理するときは行わないような技を使うシェフ、丁寧にかつ素早く盛り付けをするアシスタント、それを的確にサーブするウェイター。スタッフは全員日本人だったが、本物のイタリア料理に触れたような気がして、満足しながら帰路についた。
どうだろう。まずこの話のイタリア料理は本物ではない。イタリアでイタリア人が提供しているわけでもないし、雑誌で見つけたものなのでブーアスティン的には真正性がない店だ。
だけどあなたはそのお店に何を期待しただろう。「本格イタリアン」を求めて、「未知の料理」を堪能し、そんなイタリア料理が「どうやって作られ提供されるか」を観察した。これは明らかに本物のイタリア料理を、つまり真正性を志向しているのではないだろうか。
マキャーネルは旅行者は「時」と「場所」に本物を求めているというのがマキャーネルの主張だ。
私もマキャーネルの主張にはおおむね賛成だ。ブーアスティン程本格的でなくとも旅行するときは何かしら本物を求めているだろう。福岡に行ったら豚骨ラーメンを食べるだろう。一蘭や一風堂という大手チェーンが全国に出店していておおよその味は想像がついても絶対に行くだろう。
程度は違うが旅行者はみな本物志向である。私はこの結論に辿り着いてしまい、真正性の探求をやめた。程度はあれみな本物志向という結論に対するアンチテーゼが見つからなったからだ。
だが、真正性について最後に一つだけ言いたい。本物への探求は終わりがない。それゆえに徹底的に観光地を深堀した観光は他に類を見ないほど楽しいものになるので、経験がない人はぜひ自分で脳に汗をかいて一つの観光地を徹底的に調べてから楽しんでもらいた。