人はなぜ旅行するのかという問いについて、いくつか学説を用いて説明しようと思う。
まず、一つ取り上げたいのが日本に来た中国と台湾から訪れた旅行者に対してアンケートを行った実験がある。彼らにいくつか質問を投げかけるのだが、特に強い相関が現れるのは「今回の旅では日本のどこを旅行したのか」、「日本に来るのは何回目か」という2つの問いだ。
さて、ここで皆さんにも想像してほしい。皆さんは日本に初めて来る外国人の行先と、5回目の外国人の行先はどうなると思うだろう。
答えは合わせだ。
初めての外国人は東京から大阪間を旅行する。5回目は北海道を旅行する。
この研究結果ついてだが、まず東京ー大阪間は観光の界隈では「ゴールデンルート」と呼ばれる観光地が集中していたり、アクセスに恵まれた場所だったりする。一方、北海道は人気の観光地ではあるのだが、東京ー大阪間に比べると便の良さや知名度では劣る。
この事実が示すことは、観光の入り口は何かの模倣であり、模倣を味わう過程で自分の好きなものに巡り合えるということだ。
たとえるなら、最初はオーソドックスなカレーをココイチで食べる。そこでココイチにはまり、トッピングを乗せたり5辛に挑戦したりする。そうする中でココイチのありとあらゆるメニューの中からお気に入りを見つけたりする。(ちなみに管理人はチーズとフライドチキンをトッピングした1辛のカレーがお気に入りである)
私の経験になぞらえると、私が自発的に旅行に行くようになったのは教科書で見た厳島神社の風景をこの目でみたかったからである。これは実験でいうところの中国人がゴールデンルートを巡るフェーズだ。漠然といいなと思ってものを見る。そして次は他にもとなり、高山士、秋芳洞、横浜中華街へと足を伸ばした。上述しなかったが、二度目の訪問をした中国人は東京か大阪のどちらかに軸足を置き、北海道や九州へも足を運ぶ。1度良さを知ったものについてさらに試すというわけだ。そして最終的には自分の型を見つける。中国人(実験では台湾や上海など南部のサンプルが多かったためか)雪に関する関心が強かったのか、北海道をお気に入りとする中国人が多かった。
何もこれは旅行に限った話ではない。娯楽全般がそうだろう。なんとなくはじめてみて王道に触れる。そして派生していき最も好みのものを見つける。
私も自転車の旅、鉄道の旅、海外のメジャーな国からマイナーな国へ価値を転々とさせていったもの、入り口は教科書というベタなものへのあこがれだった。仮に私がそこで「こんなもんか」と思い、旅行以外のものに時間を費やす可能性もあった。夢中になれるものにはたくさんの経験を経て自分の好みに辿り着くということを示唆する実験であった。