またまた哲学めいた問いですまないな。こういう話題が俺は好きなんだ。真の〇〇みたいなやつな。
俺が大学院に行った原点となる問いの話をさせてほしい。別の記事にも書いたが、「人はなぜ、旅をするのか」だった。その答えを以っていそうなテーマが真正性(オーセンティシティ)だった。
難しいテーマなので具体例で説明しよう思う。名古屋城と犬山城という2つのお城がある。どちらも愛知県にある有名なものだ。しゃちほこで有名な名古屋城は説明は省くとして、犬山城はご存じだろうか。こんなサイト覗くような人間は十中八九知ってると思うが念のため説明しておこう。犬山城は数少ない現存天守が残るお城なのだ。
天守とは何かというと、お城の中で一番高い建物のことで、いわゆる「お城」だ。現存天守とは江戸時代以前からそのまま残っているお城と思ってもらえればよい。なぜ貴重かというと、明治期に大半のお城は廃城令によって解体させてしまい、日本に12か所しか残っていないからだ。
名古屋城は廃城令でなくなったため、今の天守は復興されたものである。なので江戸期には存在するはずのないスロープやエレベーターがついている。
さて、ここで皆さんに問いたい。名古屋城は「本物の」お城と言えるだろうか。本来のお城は戦争に勝つための拠点である。しかし今の名古屋城は人を殺すどころかエレベータにスロープとバリアフリーな城である。要塞と表現するのは少し難しいかもしれない。
確かにそのようなとらえ方からはオリジナルからほど遠い名古屋城は「本物」ではないかもしれない。真正性という言葉は建築の世界でも用いられるのだが、その文脈においては本物とは言い難い。実際、詳しく調べもせずイメージだけで名古屋城に訪れた当時の私は落胆した。直前に犬山城を見ていたこともそれに拍車をかけた。
しかし、名古屋城を別の角度から見てみよう。こんな逸話がある。空襲で焼け落ちた名古屋城見た市民は涙を流し、市の象徴たる名古屋城を再建させた。これだけ市民の心に深く根付いた名古屋城はモダニズムや観光戦略のために演出された部分があったとしても本物の名古屋を語るうえで外せない一要素だといえる。
真正性とは、本物かどうかを考える分野だ。名古屋城でいえば「現存天守でないから本物ではない」、「名古屋の土地と人の心に根付き、名古屋城なしに名古屋を語れないから本物」といった具合だ。
次は観光の真正性について、代表的な2名の研究者の考えに触れようと思う。
To be continued・・・