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人はなぜ、旅をするのか ~原体験編~2/2

自転車から始まった旅の目的は孤独からの逃避だった。しかし、ある事件をきっかけに目的が変容する。それは修学旅行で仲直りを果たしたことだ。

これで放課後はこれまで通りの友人と遊ぶこととなった。しかし、私の遠出は続いた。そのころには少しでも遠くにいくことに価値を見出していた。陸上部員が徐々に記録を更新する感覚に近いと思う。

ちょうど中学に進学したのがこのころなのだが、その時同じ自転車好きの友人とも出会い、彼ともよく一緒に遠出したものだ。しばらくすると私たちの行動を見て興味を持った友人が一緒に行きたいといわれるまでになっていた。

そんなこんなで、私の行動範囲はどんどん広がっていった。中学を卒業するころには青春18きっぷを活用して初めて泊りで広島県まで旅行にいった。どうしても厳島神社に行ってみたかった。高校生になると山口県の秋芳洞、横浜の中華街、岐阜県の高山市にも足を伸ばした。

中学・高校の頃は到達点を広くすることと知的好奇心をみたすことを主眼としていた。高校生の頃には、人と違うことをしたい欲求を満たす手段という側面も旅行に持たせていた。そして大学生になるころにはとうとう海外旅行も実現させた。

大学生はお金がない。宿代を抑えるためにゲストハウスのような安宿に泊まることにした。初めての海外一人旅は韓国だったのだが、宿泊者同士でめちゃくちゃ仲良くなった。香港の女の子2人組、マレーシアのご家族、日本の男子大学生(別の4人組と私)が泊まっていたが、全員と食事に行くくらい仲良くなった。

次の海外旅行はトルコに行った。トルコに行くときも宿代を抑えるためもあったが、韓国での交流が忘れられなかった。旅行者同士で交流するのがすごく楽しかった。トルコでも楽しい交流の時間を持つことができた。それからは旅行者と交流することも旅の楽しみに位置付けるようになった。

しかしその感動も次第に薄れていった。雄大な自然、荘厳な建造物、旅行者との共有にも最初ほどの新鮮味がなくなっていった。そして時折なんでこんなこと続けてるんだろうと思うようになった。「学生のうちしかできないから」とか「旅人が自分のブランドだから」とかそんな理由ばかりで内発的な動機は消えつつあった。

こんな風に悩んでいるときに事件が起きる。それは大学3回生のころに受講していたした地理学のフィールドワークに参加したときのことだった。ゼミナール形式で特定の市町村について参加者がそれぞれ色んな切り口で詳細に調べるというものだった。それがすごくおもしろかった。このとき、学問として「観光」を考えることに触れた。様々な立場でなぜ、観光が求められるかについて知るのはとても楽しかった。

それからは観光の歴史、経済効果、観光開発のプロセスなどに触れたが、最も気になったのが旅の真正性ついてだった。この分野こそまさに、「人はなぜ、旅をするのか」という私の疑問に対する答えが眠る分野だと考えた。結論からいうと、このアプローチ出た答えは「人による」という身もふたもないものだった。しかし、その過程で得た視座に私は満足している。

しかし、最初の記事でも説明したように、アカデミックの世界で大成することをあきらめ、私はサラリーマンになった。観光のかの字もないような仕事をしている。今でも旅行を続けているが、旅の目的は大学院で研究して辿り着いた答えにいつも集約されている。

さて、私の半生を語ってきたがいかがだっただろう。さて、導入も済んだことなので、いよいよなぜ旅をするのかというテーマについて、まとめていこう。

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